小森の哲学

疑問を持ち考えることが明日の進歩に繋がる

今日も憂鬱な気分で沈んでいる

小森です。

 

前回に引き続き、本日も憂鬱な気分で一日を過ごしております。

 

komorichang.hatenablog.com

 

憂鬱な気分だと、やることがあっても中々実行に移せない…。

 

まぁ、食欲や性欲、睡眠欲などはありますがね。

 

お金に関わるような大事な事柄ですら、手につかない。

 

これはもはや、鬱病ですね。

 

しかし鬱病だと、三大欲求すら億劫になって、何もできない状態になるそうです。

 

まぁ、軽度や重度などがありますが、恐らく筆者は軽度の鬱病を患っているのでしょう。

 

筆者は鬱病についてあまり詳しくないのでなんともわかりませんが、軽度の鬱病でも食欲などが無くなるんでしょうかね?

 

私の友人も軽い鬱状態になっていますが、彼は食欲が物凄くあり、主治医に大丈夫だと言われたそうです(笑)

 

友人は腑に落ちない感じではありましたが、会社も休まずに毎日行っているし、外食などもしたりします。

 

筆者の認識では、「憂鬱」という言葉の意味は、「鬱」の軽いバージョンだと認識していますが、これは間違っているのでしょうか?

 

もしうつ病や、憂鬱について詳しい方がいらしたら、コメントで教えてくれると助かります。

 

鬱病が原因なのかわかりませんが、結構気が散ってしまい、一つの物事に集中することができない時があります。

 

発達障害などの精神障害でもこういったトラブルに見舞われるらしいですが、筆者は発達障害と言われたことがありません。

 

まぁ、ただただ落ち着きがない人みたいな感じなんですかね…。

 

自分が知らないだけで、本当は精神障害を患っているかもしれません。

 

そういう人って結構いるんじゃないでしょうかね。

 

大人になってから、発達障害であることがわかった事例などもありますし、自分自身障害は何も持っていないと思っていても、実は何かしらの障害を抱えている可能性はあります。

 

そういう障害を患っている場合、他人に指摘をされて気づかされる場合が多いかもしれません。

 

「もしかしたら、自分は障害持ちなのではないだろうか?」という疑問を持ち、メンタルクリニックで診断したら、結果、障害があったということもあるでしょう。

 

親が精神障害であれば、遺伝などで障害が発生する場合もあるそうですが、筆者の親は至って健常者で健康です。

 

自分自身「鬱病」だと思っていても、これは軽度の鬱病か、もしかしたら「憂鬱」な気分なだけかもしれない。

 

医者が言っていましたが、やはり三大欲求がちゃんと満たされている場合は、「鬱病」ではないのでしょう。

 

ただただ憂鬱な気分なだけ。

 

要するに、気持ちが晴れないのです。

 

この、鬱々とした気分を晴らすには、どうしたらよいのだろうかと、昨日の記事で書きましたが、「マインドフルネス瞑想」が良さそうです。

 

マインドフルネスのアプリを折角ダウンロードしたのだから、記事を書き終わったら、さっそくマインドフルネス瞑想に取り掛かろうと思います。

 

では瞑想をしたいので、そろそろ終わります。

 

ありがとうございました。