小森の哲学

疑問を持ち考えることが明日の進歩に繋がる

幸せに生きるためには強迫観念の「やらなくちゃいけない」を捨て去ると楽に生きられるかもしれない。

小森です。

 

私がずっと思っていたことなんですけど、いつも「ブログを書かなくちゃいけないなぁ…」という思いがあります。

 

いつもいつも思う事で、何か有意義な事をしていないと気が済まないんですよね。

 

人生の時間は短い訳ですし、のんびりとしている時間が勿体ないと思っちゃうんですよ。

 

だから常にやることを探して取り組んでいるのですが、飽きたり面倒になったり疲れたりしますよね。

 

そりゃ常に何かをやっていたら、疲れるでしょう。

 

読書だってそうです。

 

楽しいから読書をするのもあるんですけど、私の思いはやはり、「何か有意義なこと(勉強など)をしていなきゃいけない。」という思いに囚われています。

 

 

これはもう強迫観念レベルの思いです。

 

 

常に何か(有意義なことや勉強など)をしていなくては気が済まないし、残された時間は長いっちゃ長いですけど、短いとも言えます。

 

だからこそ有意義な時間の過ごし方を常に意識しているのですが、これって凄く精神的に疲れる事なのかもしれません。

 

タイトルに書きましたが、この強迫観念(やらなくちゃいけない思い)を捨て去れば、今よりも楽に生きることができるのではないでしょうか…?

 

でもそんなこといきなりできませんよね。

 

だから徐々に思考に変化を与えていく必要がありそうです。

 

1日1%でもいいから、変化をさせていくのです。

 

1日1%の変化を実現できれば、1年は365日なので、365日分の変化をすることができます。

 

小さな数字ではありますが、日々努力していれば積み重なり、大きな変化となっていくのです。

 

だからこそ少しの変化でもいいから、「日々成長しているな」と、実感することも大事でしょう。

 

とにかく、常に強迫観念に囚われてしまうと、心の余裕がなくなってしまいます。

 

今の私の状態がそれで、少しでもいいから自分に対して、「ゆっくりしていてもいいよ」と、その思いを受け入れることが必要でしょう。

 

でも時間は刻一刻と過ぎていってしまう…。

 

板挟みというか…、どっちもどっちって感じなんですよね。

 

でも何もしていないよりは、何かをしていたほうが確実に有意義なので、ゲームでもいいですし、読書でもいいですし、動画を見るなどでもいいです。

 

レーニングで例えるならば、毎日トレーニングを欠かさずにしていれば、限界の上限が増える。みたいな…?(笑)

 

何かをしていなくてはならないという事が仮にトレーニングだとしたら、日々同じ思いがあり、その思いの上限値が上がっていく…。

 

みたいな事も思いましたが、やはりそれでは疲れます。

 

最悪の場合、強迫観念によってメンタルを崩してしまう可能性もあります。

 

だからさっきも言いましたが、「ゆっくりしていてもいいよ。」と、自分に余裕を持たせてあげる事が必要なのですね。

 

中々気持ちの変化をさせるのは難しいと思いますが、それも日々のトレーニングだと思い実行に移していけば、いつかそのトレーニングも報われる日がやってくるでしょう。

 

だから今あなたが、強迫観念に囚われているのであれば、もう少し自分にやさしく、余裕を持たせてあげることが大事です。

 

では本日の「強迫観念」についての記事は終わりたいと思います。

 

ありがとうございました。