小森の哲学

疑問を持ち考えることが明日の進歩に繋がる

孤独感はあるが本当に誰かと一緒にいたいのだろうか?

小森です。

 

今日は、マインドフルネス瞑想アプリの「Meditopia」を少しだけやってみました。

 

その「Meditopia」のアプリ内で、孤独感についての瞑想動画があったので、今回はそれを聞いていました。

 

その孤独感についての瞑想動画の中に、「あなたは本当に孤独を感じていますか?」という問い掛けがあったのですが、ゆっくりと自分自身に向き合ってみたら、孤独感はありましたが、本当は誰とも会いたくないという答えが出てきました。

 

孤独感を覚えているのに、誰とも会いたくないってどういうことなんでしょうかね?

 

とりあえず「孤独」について、Wikipediaを引用してみます。

 

孤独(こどく、英: solitude)とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。

「自分がひとりである」と感じる心理状態を孤独感(loneliness)という。クラーク・ムスターカス(英語版)が「孤独感には自己疎外・自己拒否からくる孤独と、実存的孤独がある」と述べているように、孤独と、それに伴う孤独感には自分と他者・世界との関係で捉えたものや、人間の存在そのものから来る孤独感など様々な視点がある[1]。

たとえば、深山幽谷にたった一人でいる場合だけではなく、大勢の人々の中にいてなお、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。この主観的な状況においては、たとえ他人がその人物と交流があると思っていても、当人がそれを感じ得なければ、孤独といえる。

文学的には、「寂寥」という言い方をすることがある。哲学者の三木清が、『哲学ノート』の中の箴言で「孤独は山にはなく、むしろ町にある」という趣旨のことを言っているのはまさにそのことを指していったもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%8B%AC

 

他人との接触、関係、連絡が無い状態を指すと書かれていますが、筆者は他人との関りがあります。

 

仕事へ行けば、嫌でも他人と関わる必要があるので、そういった所で孤独を味わうことはないかもしれません。

 

休日、家にいるときに孤独感を覚えることが多い気がします。

 

でも結局、孤独は感じるけど、他人とは会いたくないという気持ちでした今日は。

 

日によって気持ちも変わっていくのですが、今日は孤独感がありました。

 

けど、他人との接触は避けたいという気持ちでしたね。

 

そういう時は、友人とラインをしたりなどしています。

 

そうする事によって、友人と連絡を取ることができますので、孤独感が減っていくのではないでしょうか。

 

例えば、友人A君と友人B君が一緒のところにいたとします。

 

それで筆者だけが、その現場にいないことに対して孤独を感じたんですよね。

 

要するに、ハブられたような気持ちになるんですよ。

 

それで、孤独感が強まったのでしょう。

 

筆者も、友人A君、B君の場所に行けば、それで問題が解決するのですが、今日は気が乗らず家でゴロゴロしていました。

 

まぁ、そんな時もありますよ。

 

では、記事を終わります。

 

ありがとうございました。

 

 

今日も憂鬱な気分で沈んでいる

小森です。

 

前回に引き続き、本日も憂鬱な気分で一日を過ごしております。

 

komorichang.hatenablog.com

 

憂鬱な気分だと、やることがあっても中々実行に移せない…。

 

まぁ、食欲や性欲、睡眠欲などはありますがね。

 

お金に関わるような大事な事柄ですら、手につかない。

 

これはもはや、鬱病ですね。

 

しかし鬱病だと、三大欲求すら億劫になって、何もできない状態になるそうです。

 

まぁ、軽度や重度などがありますが、恐らく筆者は軽度の鬱病を患っているのでしょう。

 

筆者は鬱病についてあまり詳しくないのでなんともわかりませんが、軽度の鬱病でも食欲などが無くなるんでしょうかね?

 

私の友人も軽い鬱状態になっていますが、彼は食欲が物凄くあり、主治医に大丈夫だと言われたそうです(笑)

 

友人は腑に落ちない感じではありましたが、会社も休まずに毎日行っているし、外食などもしたりします。

 

筆者の認識では、「憂鬱」という言葉の意味は、「鬱」の軽いバージョンだと認識していますが、これは間違っているのでしょうか?

 

もしうつ病や、憂鬱について詳しい方がいらしたら、コメントで教えてくれると助かります。

 

鬱病が原因なのかわかりませんが、結構気が散ってしまい、一つの物事に集中することができない時があります。

 

発達障害などの精神障害でもこういったトラブルに見舞われるらしいですが、筆者は発達障害と言われたことがありません。

 

まぁ、ただただ落ち着きがない人みたいな感じなんですかね…。

 

自分が知らないだけで、本当は精神障害を患っているかもしれません。

 

そういう人って結構いるんじゃないでしょうかね。

 

大人になってから、発達障害であることがわかった事例などもありますし、自分自身障害は何も持っていないと思っていても、実は何かしらの障害を抱えている可能性はあります。

 

そういう障害を患っている場合、他人に指摘をされて気づかされる場合が多いかもしれません。

 

「もしかしたら、自分は障害持ちなのではないだろうか?」という疑問を持ち、メンタルクリニックで診断したら、結果、障害があったということもあるでしょう。

 

親が精神障害であれば、遺伝などで障害が発生する場合もあるそうですが、筆者の親は至って健常者で健康です。

 

自分自身「鬱病」だと思っていても、これは軽度の鬱病か、もしかしたら「憂鬱」な気分なだけかもしれない。

 

医者が言っていましたが、やはり三大欲求がちゃんと満たされている場合は、「鬱病」ではないのでしょう。

 

ただただ憂鬱な気分なだけ。

 

要するに、気持ちが晴れないのです。

 

この、鬱々とした気分を晴らすには、どうしたらよいのだろうかと、昨日の記事で書きましたが、「マインドフルネス瞑想」が良さそうです。

 

マインドフルネスのアプリを折角ダウンロードしたのだから、記事を書き終わったら、さっそくマインドフルネス瞑想に取り掛かろうと思います。

 

では瞑想をしたいので、そろそろ終わります。

 

ありがとうございました。

 

 

憂鬱な気分なのだが何故憂鬱なのかがわからない

小森です。

 

今日は休日で仕事が休みなのですが、何故か憂鬱な気分です。

 

いつもはこんな気分が晴れず、もやもやとした状態ではないのですが、今日は特に憂鬱な気分です。

 

いや、嘘をつきました。

 

普段から筆者はもやもやして生きている…。

 

何故もやもやしているのかというと、それは思い通りに事が進まないからなのではないだろうかと、筆者は思いました。

 

後輩の件に関してもそうですが、人生は自分の思い通りにはならないのです。

 

komorichang.hatenablog.com

 

一応、後輩に関する記事はリンクしておきましたので、気になる方はチェックしておいてください。

 

何故、人生がうまくいかないのか。

 

人生がうまくいかない理由について、考える必要がありそうですね。

 

根本を解決しなくては、結局、根本的解決はできないのです。

 

人生を好転させる根本的解決法は恐らく、自分自身の考え方を変える必要がありそうです。

 

自分自身、気が晴れてもやもやしなかったら、どれだけ気持ちの良い生活を送る事ができるのだろうか。

 

充実感、充足感。

 

充実感は人生において重要な事柄です。

 

最近、マインドフルネス瞑想について勉強中なんですが、これが解決への糸口になる可能性が高いです。

 

精神的な部分を充実させれば、何事もうまくいくというマインドを手に入れることができるでしょう。

 

恐らく今の筆者は、ネガティブ思考なのだと思います。

 

基本的には普段、ポジティブ思考でいるんですが、こうも心の調子が悪いと、ネガティブな思考になってしまうのもしょうがありません。

 

憂鬱な気持ちも、マインドフルネス瞑想を習得すれば、恐らく解決できるのではないかと筆者はそう思い、マインドフルネスを学んでいる最中です。

 

宗教的というか、スピリチュアル的な部分だとは思いますが、人生うまくいかないと思ったら、そういうものに頼っても別にいいのではないでしょうか?

 

宗教など人によっては偏見がありますが、筆者は宗教は歴史に深く関わっているので、勉強として宗教を学びたいです。

 

と、ここまで書きましたが、憂鬱な気分なのでそろそろ終わりたいと思います。

 

ありがとうございました。